第2回 相手があっての支援だと思うけど…(2/2)
それもこれも、すべては相手があっての話。
「発達の人は・・・」「自閉症の人は・・・」「知的の人は・・・」と括ってみるのは、あくまでも、目の前にいる人と向き合うためのもの。
目の前の人たちは決して一括りにはできず、支援者である私の想像をはるかに超えるところにいるから、決してわかった風に支援できないと思うのです。
でも、逆に開き直って「解らないから支援する」事に務めると、どこか自らが知らず知らずのうちに凝り固まっている想いが解けて(溶けて)いく感覚が生まれます。
当事者の事を「こだわりの人」と称する人がいるけど、実は私自身が世間の常識や価値観にこだわり相手を変えようとしている。そして無意識にこだわる常識や価値観が私自身をしんどい想いにさせている。
それが溶けていく実感を様々な人との付き合いの中で得ていく事が、支援の醍醐味であるとも思っている私。
連載2回目にして、泣きの入ったコラムで申し訳ないですが、そんな私のコラム3回目に続きます。(たぶん)
過去の記事
- 第1回 「支援」って何だ? (2012-05-19)
- 第2回 相手があっての支援だと思うけど… (2012-06-23)