第6回
「頼む」のって難しいんだろうなぁ〜(3)
 支援者は気軽に「何でも頼めば良いよ」言うけれど…
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 9月から一人暮らしを始めた重度知的の当事者。支援者を使い親元を離れた暮らしを日々満喫しています。ところが、こちらは彼にとって必要な支援/彼が求めている支援が何なのか?この事を理解するのにあの手この手の四苦八苦の日々を過ごしています。

 その辺りの話はまた別の機会として、
 知的当事者が一人暮らしを始めると「頼む」という場面がたくさんあります。それがすんなり成立すればどれほど当事者も支援者も楽かと思う場面が多々現れます。
 でも、その多くは当事者の側が負担しているという事があり、支援者は「頼めない」事を当事者の責任にしたり、「頼めない人」として支援の側が勝手にやってしまうという事が多いようの思います。

 実は「頼む」という行為、相手に「頼んだ事」が伝わって初めて成立するのであって、本人が本人の表現として「頼んでいる」けど、支援者がその事に気づかずにいる場面がたくさんあるように思います。

 そこで、今回は支援者が当事者の「頼み」に気づいていないという話です。

 私は月に1〜2度、Kさんと車で駅ビルに出かけます。車は駅ビルの立体駐車場に停め、Kさんの用事に付き合います。 Kさんは自閉症を伴う重度知的当事者です。
 Kさんはいつも車を降りた後、なぜかエレベーターで最上階まで上り降りてきます。 なぜ、そのようなことをするのか疑問を持ちつつも、私はいつも1階エレベーター前で待っています。何度か彼と一緒にエレベーターに乗ろうと試みましたが、それを嫌う彼は私が無理くり一緒に乗り込むと、非常に混乱し後の用事に支障をきたすため、私はとにかく1階エレベーター前で待っていました。

 ある日、駐車場はほぼ満車状態。車を最上階の駐車スペースに車を停めました。  すると、どうでしょう〜!彼は淡々と車を降り、淡々と私と一緒にエレベーターに乗り込み、すんなり私と一緒にエレベーターに乗って1階まで降りたのです。

 とっても不思議でした。それと同時にKさんと一緒にエレベーターに乗れたことがとてもうれしくワクワクもしました。
 そこで、別の日駐車場ゲートをくぐった時、私は彼に「どの階に車停めますか?」と訊ねました。すると、「6B!」と即答する彼。「6B!了解しました!」と結構駐車スペースは空いていていましたが最上階6Bをめざし車を停めました。
 すると、前回同様スムーズにエレベーターを降りる彼がいたのです。

 実は彼、車を最上階に停めて欲しかったのです。でもそれが言えない。言えないから停めてもらえない。停めてもらえないなら自分で最上階まで行って停めた事にしようと自らが自らの折り合いを見出したのだろうと思いました。  なのに、こちらは「なぜ最上階にこだわるのか?」とか「それは障がいの故か」「わざわざそんなことしなくても良いのに」と彼の奇妙な行動として受け止めていたのです。

 それからというもの、その駅ビルの駐車場に停める時には「どの階に車を停めますか?」と聞くようにしました。すると、うれしそうに「6B!」と即答する彼。それを繰り返していくうちに今ではこちらが聞く前に「6B!」という彼がいます。

プロフィール

岩ちゃん
(「岩ちゃん」さんとは言わないでね)

年齢:1963年 大阪産
現在:東京都在住
仕事:たこの木クラブ代表

たこの木クラブって何?
東京の端っこの方で活動しているちっちゃな市民団体です。1987年に誕生しました。

「地域でともに生きる」事をめざし、発足当初は「子ども達どうしの関係づくり」をテーマに、出会いの場としての子ども会や子ども達の日常である学校にこだわり活動してきました。
2000年あたりからは、障がい故に取り残されていく子ども達(青年たち)の課題として、進学・就労・自立生活といった様々な場面での支援を担っています。

「支援者」と言えば聞こえは良いのですが、「知的」とか「発達」といった障害名や専門性に疎く、長年付き合ってきた子ども達のほとんどが実は「自閉症」という領域にいる人たちである事を最近になって知ったほどです。
又、重度と呼ばれる人たちが多いため「自閉症」という人は皆、療育手帳が取れるものと思っていたまったくのど素人です。
でも、専門的な事はまったくわかりませんが、目の前にいる人たちと向き合い、今そして将来に渡り「誰もが地域で暮らし続ける」ために必要となる課題を日々悶々と模索しつつける事には変な自信を持っている私です。
共著『良い支援?』(生活書院)絶賛販売中!お求めはたこの木ブログより!

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歩くたこの木

著書・共著


良い支援?
知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援
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