第4回 「頼む」のって難しいんだろうなぁ〜(1)
  支援者は気軽に「何でも頼めば良いよ」言うけれど… (2/2)

 でも、料理教室での調理と家事はまったく違い、後者はとても難しい作業だと思います。
 例えば小学生が家庭科の時間に料理実習でうまくできたからと言って、毎日の食事を作る事ができるかと言えば、決してそうではありません。先生の声掛けがあったり、ちょっと間違えた時に修正し合う友だちがいたりという何げない事があったりします。そもそも家事における食事作りは、毎日のメニューを考えるという事(しかも自らの財布と相談して)も含まれるので非常に難しい事だと思うのです。

 「日々の」食事作りを細かく分解すれば、
 メニューを決める→食材の購入→(財布との相談)→調理手順の検討→調理→食器・調理器具を洗う→片づけとなります。又、量を考えたり栄養面を考える事も必要でしょう。
 例えば、最後の片づけがうまくできなければ、流し台がいっぱいで次の食事が作れないという事もあったりします。
 「食事を作る」「食事作りを頼む」という中には、そういう諸々の事があっての事と支援者が理解せず、一面を取って「できる」「必要ない」と判断する。逆に当事者は、ある一点ができないためにすべてができなくなってしまうという事がしばしば起こっています。

 Sさんにとっては、最初のメニューを考える。食材を購入するというあたりに不安を抱いていたようです。
 ならば、彼としては「食事を作って」と頼む事よりも、「毎日のメニューを決めて」「お金の計算をして」「買い物を手伝って」等々が本来「頼む」事なのではないでしょうか?
 しかし、その事を本人は「食事は自分で作れますか?」という周囲の問いに、「作れます」と答え、実際に頼みたい「メニュー作りや買い物やお財布との相談等々」が実は頼めないという事態に、結果何も頼めないという事態になっているようです。

 支援の立場にあるものとしては、事柄の一面だけを捉え判断するのではなく、当事者の想いが実現するために必要となる事が何なのかを明らかにし、その中で本人が「できない」事については、本人が周囲に対し気軽に「頼む」事ができるように、その人との関係を作っていかなければならないと思いました。

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プロフィール

岩ちゃん
(「岩ちゃん」さんとは言わないでね)

年齢:1963年 大阪産
現在:東京都在住
仕事:たこの木クラブ代表

たこの木クラブって何?

東京の端っこの方で活動しているちっちゃな市民団体です。1987年に誕生しました。

「地域でともに生きる」事をめざし、発足当初は「子ども達どうしの関係づくり」をテーマに、出会いの場としての子ども会や子ども達の日常である学校にこだわり活動してきました。
2000年あたりからは、障がい故に取り残されていく子ども達(青年たち)の課題として、進学・就労・自立生活といった様々な場面での支援を担っています。

「支援者」と言えば聞こえは良いのですが、「知的」とか「発達」といった障害名や専門性に疎く、長年付き合ってきた子ども達のほとんどが実は「自閉症」という領域にいる人たちである事を最近になって知ったほどです。
又、重度と呼ばれる人たちが多いため「自閉症」という人は皆、療育手帳が取れるものと思っていたまったくのど素人です。
でも、専門的な事はまったくわかりませんが、目の前にいる人たちと向き合い、今そして将来に渡り「誰もが地域で暮らし続ける」ために必要となる課題を日々悶々と模索しつつける事には変な自信を持っている私です。

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