第3回 関わり(支援)はみんなでシェアしよう〜!(2/2)

そんな家族の様子を垣間見えると、俄然本人の話はじっくり聞きたいと思ってしまう私。
とは言っても、毎度同じ話を繰り返しされ、こちらの都合にお構いなく電話をかけられると正直気が滅入るというのも正直な気持ち。

では、
@際限ない話をしないようあきらめさせる方が良いのか?
A時間を決めて話をするというルールを作ればよいのか?
Bこのまま私が必死に受け止めれば良いのか?

そのいずれも違うと思う私。
なぜなら、
@は、すごく一方的だから嫌
Aは、お互いの気分を除外してする会話なんてつまらないと思うので嫌。
Bは、私ばかり我慢するのは嫌だし、そのうち限界が来たら結局@を選択してしまうから嫌

それで思う事は・・・
@Aくんの話に興味のある人を探す。
AAくんが私以外にかけられる相手を探し、もっとたくさんの人にかけられるようにする。
興味のある人なら、お互い盛り上がるだろう。
気の合う人でなくても電話をかける相手の数が増えれば、聞く側はちょっとづつ聞くことになるし、Aくんも暇な人を見つけやすくなるので双方にとって楽になるかも。

「支援」と力を入れてしまうと、「専門性」ばかりに依拠したり、誰か特定の人のみが背負う事になってしまう事が多いように感じます。

でもそうではなくて、
暮らしの中に人がいて、みんなでやり取りできる関係があれば、そんなに難しい話でもなく、成功も失敗もいろんなものを気軽に積み重ねて次へと進めるのではないかと思う私です。

過去の記事

プロフィール

岩ちゃん
(「岩ちゃん」さんとは言わないでね)

年齢:1963年 大阪産
現在:東京都在住
仕事:たこの木クラブ代表

たこの木クラブって何?

東京の端っこの方で活動しているちっちゃな市民団体です。1987年に誕生しました。

「地域でともに生きる」事をめざし、発足当初は「子ども達どうしの関係づくり」をテーマに、出会いの場としての子ども会や子ども達の日常である学校にこだわり活動してきました。
2000年あたりからは、障がい故に取り残されていく子ども達(青年たち)の課題として、進学・就労・自立生活といった様々な場面での支援を担っています。

「支援者」と言えば聞こえは良いのですが、「知的」とか「発達」といった障害名や専門性に疎く、長年付き合ってきた子ども達のほとんどが実は「自閉症」という領域にいる人たちである事を最近になって知ったほどです。
又、重度と呼ばれる人たちが多いため「自閉症」という人は皆、療育手帳が取れるものと思っていたまったくのど素人です。
でも、専門的な事はまったくわかりませんが、目の前にいる人たちと向き合い、今そして将来に渡り「誰もが地域で暮らし続ける」ために必要となる課題を日々悶々と模索しつつける事には変な自信を持っている私です。

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知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援
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