第4回
広告代理店時代 新人の頃 (1/2)

 デザイン事務所を辞める事になった時 不甲斐無いアシスタントだった私のために、社長や先輩は、就職活動に使うための作品のまとめ方まで、教えてくださいました。なんて親切な方々(T_T)
先輩のお手伝いで、半分くらいしか制作していないロゴマークも、「これも 自分が関わったって言え」って、ロゴの入った封筒、メニュー、カードなど 一式くださいました。 それをせっせせっせとファイリングして、準備は完璧♪ 後は求人広告を見つけて、面接に行くだけ^^

 私、18歳位から、ちょっと不思議な趣味がありました。
(1)新聞の求人欄を見ること。
(2)折り込みチラシの不動産物件の間取りをチェックすること。
間取りについては 街中によくおいてある フリーペーパーなどでもチェックしていました。 (1)に関しては「世の中には色んな仕事があるんだなあ〜」とか、「こういう業種って、お給料この位が相場なんだ〜」とか思いながら見てましたっけ。 (2)は、今だに好きなんですが(笑) 自分が住んでる気分になって、家具の配置を考えたり、生活のしやすさを考えたりするのが楽しくて仕方ないんですね(笑)
不思議な間取り見つけて爆笑したりもありました! 結構、間取りをかく時のミスで「入口の無い6畳和室」とか 「扉の無い浴室」とかがあるんですよ。 この妙な間取りへのこだわりは、後々、いろんな分野で役に立つ事になるのですが。 そういえば、発達障害のネイティブの方って「間取り好きさん」が多い様な気がするなあ。

 普段から、求人広告や新聞の求人欄をチェックするのが好きだった私は、家から通える範囲で、一つの広告代理店を見つけていました。
「ここの会社 よく募集してるなあ。よっしゃ、ここに面接行ってみよう!」
かなり意気込んで、社長さんとの面接に臨んだのですが、ほんとに、さらっと履歴書だけ見て、作品はチラリと見ただけで「いつから来れますか?」と採用が決まりました。
今なら分かるんですが、ず〜〜っと求人してる会社って、出入りが激しい会社が多いです。実際、ここの会社では、毎月「歓送迎会」がありましたから。 はい、毎月、ひとりは辞めていくんです。 とにかく、私の小さな広告代理店の制作部勤務がスタートしました。

プロフィール

くすのきゆり
兵庫県出身。兵庫県在住。
デザイン専門学校在学中に二科展入選。
専門学校卒業後は、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして、デザイン事務所、広告代理店制作部に勤務。
本や教材の挿絵、ポスター、雑誌の表紙、イラスト、ロゴマーク作成、パンフレット、チラシなどグラフィックデザイン全般を手掛ける。
結婚、出産で いったん現場を退くものの、現在は、発達障害の啓発活動の傍ら、フリーのイラストレーター兼グラフィックデザイナーとしてとして活動中。
色鉛筆画が得意。
LDの人にも読みやすいグラフィックデザインを心がけています。
プライベートでは 二人の子どもの発達障害の診断までの過程で、私自身もその
傾向が強い事に気づく。
心療内科にて「物忘れ・衝動性・不注意は薬の副作用やうつ病の症状ではなく、
持って生まれた特性でしょう。脳のほんの少しの機能障害です」と言われるもの
の、専門病院での診断は受けていない。
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