第3回 ピンチはチャンス (1/2)

 子育てのふり返りならなんとかなるかなあと、書き始めてみたこのコラム。いざ始めてみると難しくて難しくて・・・(汗)基本的に、昔の嫌な思いや辛い出来事は、目の届かないところへ押しやり、そのまま忘れてしまうタイプ。(←これは家の中も同じで、押し入れに突っ込まれたモノは二度と日の目をみない運命デス;)なので、書いても書いても昔の自分の本音にたどり着けていない気がして、うまくふり返ることができなくて。だから今回はちょっと視点を変えて、「小さい頃のわたしとまぼの考察」をしてみたいと思います。

 その昔、わたしは泣き虫でアンテナの敏感な子供だった。そのくせ無鉄砲で、三輪車で坂道を疾走して顔面着地で血だらけになったり、本を読み始めると耳元で名前を叫ばれても無反応だったり・・・敏感なのか?鈍感なのか?という一面も。
ただ、その場の空気を感じるアンテナは本当に敏感で、絵本でも、お友達同士のケンカでも、ちょっと不穏な空気を感じとると涙がじわり。幼稚園の新任の先生にとっては、扱いづらくてめんどうな子供だったと思う。
だって、先生の焦りやイライラを察知したとたん、(先生にしてみたら急に)泣き出してしまうんだもの。先生だって新任で余裕がないのに、すぐにメソメソする子がいたら鬱陶しいよねえ。先生のイラつきを感じる→泣く→さらにイラつく。この悪循環で、わたしはすっかり幼稚園嫌いになってしまった。だけど、「給食のゼリーがイヤ」等のとんでもない理由で幼稚園に行き渋ることを、母にとがめられた記憶はまったくない。
実はその頃大きな病気にかかり、一時、意識不明の重体に陥ったわたし。母の意識はこの出来事を境に、「この子は生きているだけでいい」に変わったのだって。まさに不幸中の幸い? 

 さらに幸いなことに、年長さんになってからの担任の先生は、泣き虫なわたしのことを、「感受性の豊かな子」ととてもかわいがってくれた。泣き虫もこうなると長所に早変わり(笑)「カンジュセイってなんだろう?」と思ったけれど、子供心にほめられていると感じてうれしかった。この「認められ感」はわたしの自信となり、「小学校に入ったら変わろう!泣き虫はやめよう!」という決意につながった。今までの人生の中で、あそこまで自分から「変わろう!」と決心したことはなかったかもしれないな〜。
 そういえばまぼが3年生くらいのとき、「小学校は保育園のボクを知っている子がいないから、入学したら変わるチャンスだと思ったんだ」と、教えてくれたことがあった。自宅から遠い、学区外の保育園に通っていたので、入学時に顔見知りがいなくて心細いかなと心配したけど、まぼにとっては生まれ変わる(?)絶好のチャンスだったんだね。似ていないところもたくさんあるけど、こういうところは似たもの親子だったみたい。

プロフィール

じゅん

色とりどりな中2の3つ子と家族5人で、愛知県に生息中。
アスペッ子なまぼ、天然なあーちゃん、重度の知的障害&コテコテの自閉症のたんたんとともに、笑ったり、ずっこけたり、たまにへこんだりしながら、マイペースに暮らしてます♪

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著書

発達障害のある子の
こころを育てる
じゅん/著
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